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最高裁判所第三小法廷 昭和29年(オ)531号 判決

京都市右京区西京極堤外町一三番地

上告人

ヨコイ工業株式会社

右代表者代表取締役

石塚陸

右訴訟代理人弁護士

田辺哲崖

京都市右京区西院花田町

被上告人

右京税務署長

若林嘉平

右当事者間の戦時補償特別課税価格更正取消請求事件について、大阪高等裁判所が昭和二十九年三月三十日言渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人弁護士田辺哲崖の上告理由第一点について。

論旨は、「軍需省航空兵器総局契約心得」が作成されたのは昭和十九年二月二十九日、発効したのは翌二十年三月二十三日であり、政府と上告人との滑空機製作請負契約の内「若草」に関する二件はその以前の昭和十九年一月と三月のことであるから、請負契約当時存在しなかつた「契約心得」記載の条項を契約の内容とする筈がない、として原判決を非難する。しかし右の「契約心得」が本件契約後に作成されたという事実は原審で主張されなかつたところである。のみならず仮りに論旨主張のとおりであつたとしても、原判決の認めるところによれば、右の「契約心得」は、航空兵器総局において、軍需省設置(昭和十八年)前に存していた海軍航空兵器廠以来の契約心得を踏襲して作成されたものであるというのであるから、実質的に同じものが以前から存したのであつて、本件請負契約が所論「契約心得」の記載条項と同じ内容の約旨を含んだものと認定することもできる。そうだとすれば原判決の結論に影響なく、論旨は理由がない。

同第二点及び第四点について。

論旨は、本件契約が履行不能になつたのは、敗戦という予想しない事実によるものであつて、このように予見できない事実は「契約心得」十四条一項の「政府において已むを得ざる事由ありたるとき」という中に含まれないものであると主張する。しかし、已むことを得ざる事由とは必ずしも当初予見できた事由に限る必要はなく、原判決が終戦を右の場合に含まれるものとしたことには所論のような違法はない。論旨は理由がない。

同第三点について。

論旨は、原判決が相殺の効力について判断を加えていないことを非難するのであるが、相殺の効力は本訴の判断に必要でない。けだし前渡金返還義務の存否は損害賠償請求権の存否に直接の関係はないからである。論旨は理由がない。

同第五点について。

論旨は、本件契約は履行不能に陥つたものであるにかかわらず、原判決が履行不能の理論によつて解釈しないは違法であると主張する。しかし履行不能になる場合を予想して特約をすることは少しも支障はないのであつて、特約のある以上その特約に従うのは当然である。従つて原判決には所論のような違法はなく論旨は理由がない。

よつて民訴四十一条、九十五条、八十九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河村又介 裁判官 島保 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 垂水克己)

(参考)

○昭和二十九年(オ)第五三一号

上告人 ヨコイ工業株式会社

被上告人 右京税務署長

上告代理人弁護士田辺哲崖の上告理由

第一点 原判決は、その理由において、『被控訴会社(上告人)が太平洋戦争中政府から、(イ)昭和十九年一月頃滑空機「若草」五〇機、(ロ)同年三月頃同滑空機一〇〇機、(ハ)昭和二十年五月頃滑空機「秋水」六五機を、代金(イ)は一機二八〇〇円(ロ)は同五〇〇〇円(ハ)は同五〇〇〇〇円(註、五〇〇〇円の誤りと思料する)、納期(イ)は昭和十九年九月末、(ロ)は昭和二十年九月五日(九月十五日の誤りと思料する)、(ハ)は同年九月末と定めて各その製作を請負い……』たる事実を認定し、「前示滑空機請負契約は軍需省航空兵器総局契約心得に従つて為され、同心得第十四条第十五条規定事項を契約内容としたか否かについて考究する」となし、「……民間業者との兵器製作請負契約は凡て右契約心得に掲げるところに従う約旨のもとに契約締結を為し来つたものであり、被控訴会社(上告人)との本件契約も同様これに従つて為された事実を認定するに充分で」あると認定した。すなわち、原判決は、本件上告人と政府との間の前示滑空機製作請負契約をすべて、前掲航空兵器総局契約心得(乙第一号証)に基き締結されたものであるというにある。ところで、右契約心得は乙第一号証に明かなように尠くとも昭和二十年二月二十九日に作成されたものであることは疑う余地がない。けだし、乙第一号証の一の表紙についてみれば、昭和二十年三月二十三日との記載あり、また乙第一号証の一についてみれば、「軍需省航空兵器総局契約心得」と題し、「昭和十九年二月二十九日軍需省航空兵器総局第四局」と附記し、次いで第一条以下の条文が掲げられており、かかる体裁の一般的慣行に照し、本契約心得は、昭和十九年二月二十九日作成せられ、翌二十年三月二十三日より発効したものとみるべきである。然るところ、前掲政府と上告人との滑空機製作請負契約の内「若草」に関する二件は昭和十九年一月と三月のことであるから、乙第一号証の契約心得の発効より実に一ケ年乃至それ以前のことであるから(作成された年月日に発効したとしても、請負契約はそれ以前である。)、原判決のいうが如くであるとすれば契約締結当時存在しなかつた契約心得記載の条項を契約内容としたという結果になり、原判決には理由齟齬の違法ありといわねばならない。

第二点 原判決は、その理由において、「履行不能に陥つた後当事者双方の合意によつて契約を解除することも固より差支ないし、或は履行不能の場合を予想し予じめ約定した約定解除権が政府にあるならば、これに基いて契約解除を為すことも何等妨げるものではない」とし進んで政府が前記契約心得第十四条に基いて被控訴会社に対し一方的に契約解除をなしたのは前示履行不能が何時であつたか、右不能の責が政府にあるか否かという点を考究するまでもなく有効な契約解除であると謂わねばならない。従つて政府が右約定解除権に基き被控訴人に対し契約解除の措置に出た以上当事者間の法律関係は前示特約に則つて処理せられることとなり履行不能の理論に従つて解決せられるものではない」と判示した。右「特約」の成立、従つてその存在は上告人が第一審以来否認し来つたところであるが、これは暫くおくとしても、「特約」が契約の一つであることはいうまでもないことである。而して、契約である以上、その内容は当事者双方に尠くとも予見されうる範囲に限ることも理の当然といわなければならない。当事者が契約によつて拘束をうける所以は、契約内容を予見しうるからである。全く予見されえないところに責任を生ずるいわれはない。然るところ、今次の敗戦ということ柄は、国民の何人と雖も文字通り夢想だもしなかつたところであつて、本件「特約」の当事者、尠くとも上告人の予想するところではなかつた。されば仮りに上告人と政府との間に締結された滑空機製作請負契約が乙第一号証の契約心得に基いたものであつたとしても、右「特約」によつて解除されるに由なく、全く敗戦による履行不能によるものものとして処理さるべきものと断ぜざるをえない。殊に、右契約心得第十四条第一号には、「甲(政府)に於て已むを得ざる事由ありたるとき」と明定し今次敗戦による履行不能の場合がこれに包含されないことは一見明瞭であり、更に同心得第十五条によるも「甲は……乙に損害を蒙らしめたるものと認めたるときは……」と規定しその損害補償が専ら政府の恣意に任されていることに徴するも這般の理を知ることができるであろう。要之、原判決は、特約によつて律すべからざるものをこれによるべきものと判断し、法の解釈適用を誤つた違法がある。

第三点 原判決は、事実摘示において、「被控訴会社が政府から受取つた前渡金は旧会計法第二十一条より弁済として受領したものであり、(花田七五三著「官庁会計」一二八頁参照)被控訴会社の債務が政府の責に帰すべき事由により履行不能に陥つた以上(註、仮りに政府の責に帰すべき事由でなくとも、尠くとも、上告人たる被控訴会社の責に帰すべからざる限り同様となる)、被控訴会社はこれを返還する義務もないから政府からこれに対し相殺をする由がないものである」との上告人の主張のあることを認めながら、これに対する判断をなすことなく、「被控訴人が政府との製作契約により前渡金として受取つた合計二、八六八、〇〇〇円中既納の滑空機代金一、三七五、〇〇〇円を控除した一、四九三、〇〇〇円は契約解除によりこれを政府に返還すべきものである」と何等の理由を示すことなく、たやすく前渡金の残額返還義務を上告人に認めたことは、判断遺脱乃至は理由不備の違法があるものといわねばならない。

第四点 政府と上告人との間に締結された滑空機製作請負契約は、わが国の敗戦という厳粛なる国際事実に基き、わが国がポツダム宣言を無条件で受諾するに至り、上告人は右契約上の債務を履行することができなかつたものであつて、前掲乙第一号証の契約心得第十四条第一号にいう「甲に於て已むを得ざる事由ありたるとき」に該当しないこと多言をまたない。蓋し右「甲に於て已むを得ざる事由」とは、その立言に徴して明かなように、甲たる政府において已むを得ざる事由のあつた場合、即ち政府に一方的に已むをえざる事由が発生したことを意味し、今次の敗戦の結果昭和二十年九月二日布告された一般命令第一号の如く、日本国も日本国民も悉くこれによつて規制されるような場合は入らないものといわねばならない。それにも拘らず、原判決がその理由において、かかる場合も「已むを得ざる事由」に該当するものと判示したことは法の解釈を誤つたものというべきである。

第五点 仮りに原判決のいうように、本件が「やむを得ざる事由」に該当するとするも、債務者たる上告人の責に帰すべからざる敗戦という事由によつて債務者の履行が不能に陥つた以上、履行不能の理論によつてことを解釈すべきであるに拘らず、原判決が前掲のように、履行不能の理論によつて解釈すべきものに非ずと断定したことは違法の判断というべく破毀さるべきものと思料する。

以上

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